気まぐれ日記 2020年11月

2020年10月はここ

11月1日(日)「宅急便のクルマ・・・の風さん」
 昨日はハロウィンだった。昔から全く無頓着。クリスマスとも似ている。外国の行事だが、特別なイベントやお菓子が出てきて、面白いなあ、と思う程度。さらに昨夜は10月で2回目の満月だったそうだ。太陰太陽暦だと満月は15日と決まっているから、月に1回しかない。太陽暦だから、2回あることもある。
 新型コロナのせいで、色々なことが影響を受けている。そういった中でも、やはりプラス思考はなくしてはいけない。そして、いつか影響がなくなる時が来る。その時、振り返って、大変だったけど、何とか頑張った、それでも楽しかった、と言いたいものだ。
 今回、長女が帰省してきたが、荷物を2つクロネコ(宅急便)に運ばせた。そのうちの1つはヤマト運輸のトレードマークとも言える自動車のデザインが印刷されていた。カッターで窓をくり抜き、前面部を傾斜させ、後部ドアを開くようにすると、立体的になってさらに自動車の形に近付く。長女は、ちび助のねぐらにもなると意図的に送って来たのだ。工作は私が担当した。
 食事から排泄まで色々と不安定で問題のあるちび助だ。猫は自分の体のサイズに近い入れ物が好きで、段ボール箱はすぐ狙われる。それだけなら良いのだが、体調が悪い時は、そこで粗相をしてしまう。ここ1か月、何度も発生した。
 私の工作が完了してすぐ、ヤマト運輸の自動車に、ちび助が入った。長女の狙い通りで、傑作だった。
 が、やはり事件は発生してしまった。何度も。トイレと勘違いしてしまうのだ。私は、工作した自動車を「クロネコの宅急便所」と名付けた(笑)。
 夕方、長女を、名古屋までアクアで送った。
 帰宅し、遅い晩ご飯後、本格的歴史小説の第一稿をほぼ2か月ぶりにざっと読んだ。明日、出版社の編集者と電話打ち合わせが予定されている。来年出版へ向けて、前進させたい。

11月2日(月)「内視鏡検査の結果・・・の風さん」
 8時半の目覚まし……が鳴る前に起床。こんな時刻でも寝不足。眠い。頭が重い。ストレッチはちゃんとやって、朝食は抜きで、9時半過ぎにキャメロンで出発。雨がぽつぽつ降り出す中、11時に病院に到着した。
 受付を終えてすぐ休憩所へ行き、パンとコーヒーを自販機で買った。帰りも時間がないので、とりあえず食べておく。
 その時、スマホが鳴った。文美国保から減免申請の内容を確認する電話だった。国民健康保険組合として、新型コロナの影響で、昨年から今年の収入が減る程度に応じて、納入金の減免をすることになっていた。一年の4分の3が過ぎた時点で、収入が少なかった昨年よりさらに減ることが明確になったので、申請書類を作成して提出してあった。今年は作家収入的には暗くなる一方だったが、幸い色々な救済措置があり、何とか補てんされている。まじめに生きていれば、何とかなるものらしい。
 診察は予約時刻より1時間近く遅くなった。十二指腸潰瘍の痕跡はもう皆無だった。切除した大腸ポリープは問題なしだった。それでも、医師の提案で、来年も上部消化管および大腸の内視鏡検査を受けることにした。
 会計も終えてすぐ出発した。2時から出版社と電話打ち合わせを予定していた。できれば、書斎で電話を受けたかった。往路と同じ時間がかかるとなると、2時には間に合わない。半分有料道路を使う案も念頭に、とりあえず走ってみた。幸い、往路ほど道路が混んでいなかったので、下道だけで2時直前に自宅に着いた。
 ワイフが昼食用におにぎりを準備してくれていて、それをかじりながら書斎に向かった。
 約1時間、打ち合わせができ、今後の方向が定まった。取り組み中の歴史小説はやや大作になっているので、年末に改訂稿を出して、それが受け入れられれば、来年初めから、出版へ向けてスケジュールにのった仕事になるだろう。楽しみだ。
 その後、午後に休眠というか、少しゆっくりした。ルーチンを終え、ホットタイムもリラックスムードだった。
 大腸ポリープ切除の件が一段落したので、保険会社へ連絡する書類を書いた。雨が止んでいる時間帯を狙って、徒歩で投函に行った。
 ちび助の状態はいくらか良いが、排泄と食事が不安定なので、点滴の前にカリカリドリンクを作って飲ませた。減ってしまった体重を少しでも戻したい。
 夜は、連載小説の準備の続きをやったが、疲労感が重く、長続きしなかった。

11月3日(火)「ストレスだらけ・・・の風さん」
 いつものように日が高くなってから起床。入念なストレッチは忘れない。
 すぐに月初のルーチンだったレンジフードの掃除に取り掛かった。掃除や片付けが好きな性格なので、嬉々としてやっている。今日はシロッコファンの掃除を、歯ブラシを使っておこなった。隅っこまではできないぞ(メンテや掃除のしにくさについては、技術屋の血が騒ぐ。こういう細部にこだわらないのは、設計者の技術力不足だと思う)。先月の続きで、リビングにあるクーラーとその周辺の壁や天井を拭き上げた。1階の天井や壁をきれいにし終わるのに、まだ1年はかかるだろう(笑)。
 終わってようやくブランチ。ワイフの友だちが来宅している関係で、カツサンドの弁当が支給されていたので、それを食べた。栄養十分。
 ここで午後の休眠となる。休み休みでないと、仕事ができない。体力がない。それでもやらねばならない。なので、しっかり休憩を取りながら、粘り強くやることになる。若いころの爆発的エネルギーが不思議である。
 ホットタイム後もルーチンや雑務を処理した。雑務を処理していかないとストレスがたまる。これも退社してからだんだん明らかになった。現役時代のストレスは、やはり若さで解消できたのだろう。今は、それができない。体力不足は休眠でカバーするが、ストレスは、雑務を片付けて最大のストレス(作家活動つまり執筆の課題)を少しでも軽くすることだ。雑務はやればやるほど進展する。しかし、創造的な仕事は、必ずしもかけた時間に比例して進展していかない。それがまたストレスの元になる。
 今夜もちび助にカリカリドリンクを作って飲ませた。ちび助の体調も私の体調というかストレスの原因になる。
 深夜は、また昨日の続き。8月にやっておきたかった作業だが、できなかった。しかし、やらねば、執筆につながらない。ああ、ストレスになる。アメリカの大統領選挙も気になって、ストレスになるが、4年前の事実があるので、またトランプが逆転勝利する可能性がある。多くのアメリカ人は、やはり強いアメリカを求めているからだ。バイデンさんが平和を求めたとき、本当に世界に平和が訪れるのか、ちょっと頼りない感じがする。

11月4日(水)「おバカな私・・・の風さん」
 昼前には起床(笑)。入念なストレッチ。いつもよりやや早くブランチ。ホットミルクとトーストだ。
 キャメロンで外出した。JPの分局へ行き、古本購入代金を振り込んだ。最近、古本の値段が下がっている感じがする。あふれだしたのかなあ。
 ドラッグストアへ寄って、割引券で一品だけ購入し、ホームセンターへ向かった。11月分の砂利などを購入した。砂利は、恐らくあと半年購入すれば、裏の土地の水たまり対策は完了すると思う。
 山越えルートで帰宅した。朝晩は気温が低いが、日中は窓を開けて走ると気持ちよい気候だ。半島先端の海岸まで行きたいが、精神的な余裕がない。
 コーヒーでひと息入れてから、ストレスの原因の一つを解消する行動に取り掛かった。馬鹿な話だが、そのバカは私なので仕方ない。いつの頃からか、あるクレジットカードの請求に毎月心当たりのないサービス料があった。メインのクレジットカードを変更していくにつれて、だんだんそれが目立つようになった。インターネットに関係していそうだが、以前、ネット検索した時は分からなかった。昨日、もう一度検索してみたら、やはりインターネットのサービスだったが、やはり心当たりがない。そこで、作戦を立てて、今日、心因追求することにした。先ず、メインの地元のネットサービス会社に電話して、問題のサービスを尋ねると、全く関係ないと言う。今年2月に地元のネットサービスに戻ったのだが、それ以前のサービス会社を飛ばして、問題のサービスに直接電話したら、私は正規の登録メンバーではなかった。何かのオプションサービスではないかとのことで、候補を教えてくれた。そこへ電話したら、プレミアテレビの視聴サービスに加入していることが分かったのだが、やはり心当たりがない。しかし、何と2017年からの契約だという。数万円の散財になっていた。即、その場で解約をすることができた。
 今夜は、ワイフの年金申請に関しても、ワイフの疑問が生じたので、やっと私が参画することになった。これまで、すべて任せてあった。一つひとつ粘り強く解決していかなければならない。
 大統領選挙が混迷の中にある。予想通り以上である。来年まで決着がつかないのではないか。長引けば長引くほど、トランプ大統領が有利になる。実にしたたかなディーラーだ。彼ほどのしたたかさがないと、現在の世界を生き抜くことはできないのではないか。

11月5日(木)「久しぶりの1万歩・・・の風さん」
 今日もストレスを減らすための予定が組まれている。そのせいか、早くから目が覚めてしまった。
 入念なストレッチ後、1階から2階へミニ箪笥を一竿移動させた。これは昨日から予定していたこと。この手の作業はこれから連日続くことになる。裏の土地へキャメロンで出動し、助手席床に置いてあった砂利の袋を出して、11月分の砂利撒き。これは着々と進んでいく。
 ブランチ後、ルーチンの一つ、気まぐれ日記を急いで書いてアップした。
 少し早く起きたので楽勝かと思われたが、もう時間がない。着替えて、キャメロンで出発。
 中継点の駅近くのショッピングセンターへ行き、ワイフが希望するミスドを購入した後、電車で名古屋へ。かかりつけの眼科へ行くのである。
 目の病気は、大学時代から始まっていて、歯科と同様に、毎年通院している。目の方は、安定していたのだが、昨年から良くない数値が出始め、今年とうとう目薬が復活してしまった。20年以上、目薬なしで問題なかったのだが、これも加齢のせいらしい。困ったことだ。検査の結果、投薬だけで悪化傾向は止まりそうだった。1日1回、一滴だけの点眼なので、それほどのストレスではない。
 逆のコースで帰宅。午後7時を少し回っていた。かなりエネルギーを使ったような気がするが、気になっていたことが、こうやって少しずつ前進していくことが大切だ。
 今日は、次女夫妻から私たちのために、とバースデープレゼントが届いた。ウォーキングの時にどうぞ、という品物だった。ひざの問題が起きて挫折していたワイフが、またウォーキングをやる気になったようだ。これは大きい。
 やはり疲れていたので、今夜は早めに就寝することにした。万歩計を外すと、久しぶりに1万歩をこえていた。老人はこれくらいは毎日歩かなければならないと思う。

11月6日(金)「これが人生なのかも・・・の風さん」
 短期間ながら8時間睡眠を続けられた時期があった。その時その時で、必要な睡眠時間は違うだろう。しかし、コロナの時代、免疫力を維持するためには、寝不足はいけない。予想よりも早く目が覚めると、このまま起きていいのか、ちょっと迷う。頭脳のためにはもう休養は十分みたいだが(どうせ頭をフル回転させていないだろうし)、老化した肉体のためにと、当初の予想の時刻近くまで起きないことにする。そして、いよいよとなると、ベッドの上でストレッチ(腹筋も)を少しする。それからベッドを離れる。
 階下で最初にやることもストレッチだ。色々な小雑務を間にはさみながら、無理せずおこなう。……ところだ、今日、異変が起きた。急に右ひざの下が痛くなったのだ。こういうことが起きないように、慎重にストレッチをしていて、しかも膝の屈伸や回転も織り込んである。それなのに……。
 ちょっとひねっただけかもしれないので、徒歩で投函に出かけた。明日は雨の予報なので、外出予定のない今日は、投函もストレッチのうちだ。万歩計で千歩くらい進む。帰宅したが、膝の痛みに変化はない。今日はせっせとトクホンチールを塗ることにした。
 ホットミルクとトーストのブランチ後、2階の長女の部屋へ出動し、次女の部屋だった和室から、次女の家具をいくつか運び込むためのレイアウト検討をした。まるで会社の仕事みたいだ。家具類(机とか書棚)の寸法はすべて測ってある。2階の空いているスペースに、どのように並べるか、マス目のある紙の上で様々検討した。狭いので、意外と難しい。最初、頭の中でイメージしたものとまるで違うレイアウトが、最終案になった。
 しかし、ベッドに装着したキャスターが強度不足で変形し、スムーズに動かないことが判明したので、これの対策も必須になった。もう少し強度の高い構造のキャスターをネットで選定し、発注した。高さを同じにしたので、交換でなく、増設になるかもしれない。
 ルーチンを終え、ホットタイム前にちび助にカリカリドリンクを作って飲ませた。晩ご飯前は、すべて特殊雑務とルーチンで終わってしまった。これが人生なのかもしれない。のんびりもできないし、優先順位の高いことばかりをすることもできない。
 深夜の作業は、連載の準備。いつまで続くんだ?

11月7日(土)「今日は大工さん・・・の風さん」
 週間天気予報通りに雨模様の土曜日になった。昨日のうちに投函をしておいてよかった。今日は、屋外作業でなく屋内作業をこなして、精神的ストレスを減らしていく。
 右下の膝はまだ痛むが、入念なストレッチをし、ちび助が落ち着いているのも確認してから、ブランチ。ホットミルクとトーストだけなので、ダイエットだ。
 先ず、書斎に入り、面倒でやっていなかったスマホのアプリの中の処理を2件やった。ポイントやらチャージやらの移動である。IDやパスワードを入力する場面が出て来るので、いちいち覚えていない私は面倒でやっていなかった。書斎に入って始めたのは、すぐにそれらの情報を執筆マシンから入手できるからだ。無事に終わってホッとした。
 木曜日に外出した時に、iPhoneのバッテリーが減るのが異常に早いことに気が付いた。ゲームで酷使して消耗したのかも。再来週名古屋へ行く予定があるので、アップルストアで交換してもらおうと思う。購入後2年ぐらい経過しているが、あと2年は機種変更しないつもりだ。そんなことがあった今日、1階のワイヤレス充電器の異常に気が付いた。電源はONできるが、充電できない。何度やってもダメだ。壊れたのかも。比較的安価な充電器だから、こういうことはあり得る。しかし、大型家電量販店で購入したものなので、ちょっと壊れるのが早い。保証期間内だろうか? 確かめるのが面倒そうだ。
 夕方、Amazonから宅配が届いた。中身は3件で、発注時期は違っても到着時期をだいたいそろえたので、同時に入手できた。このシステムは老人には必須だな。
 実は、少々自慢したキャスターの取り付けが結局うまく行かなかったので、あらためてネットで最適と思われるキャスターを発注した。すぐに2階の長女の部屋のベッドに装着を試みた。簡単ではない。ドリルで下穴を明け、タッピングスクリューで締め付けるタイプである。いつものように段取りは入念にした。強度が増したことと、干渉しない部位に装着したことで、スムーズに動くようになった。長男の部屋のベッドのキャスターもこれと同じ部品と交換することにする。5%割引とポイントも使うが、かなり高価なキャスターである。やはりしっかりしたものは高価だ。そして、私は大工となって汗を流すことになる。
 今日のちび助はまずまず安定していた。
 深夜は、連載の準備の続きだが、今回使いたい歴史事件に遭遇した。何とかこれを利用して、物語を作りたい。

11月8日(日)「エンジニア失格・・・の風さん」
 雨が上がり、晴天にはならなくても、そこそこ気温が上がった。ちび助の状態はあまり改善されない。手厚いケアが必要だ。
 ワイフがブランチを作ってくれた。いつもよりしっかり食べたので、仕事をしなければならない(笑)。
 1階の和室復元への道は遠い。長女のひと言もあったので、暫定的に、2階に次女のプライベートゾーンを作ることにした。その一環で、今日は机を2階へ運び込むことにした。3時過ぎには終了するだろうと思った。手間がかかるのは、先ず、机をきれいにすることで、しつこい汚れを濡れ雑巾で丁寧に拭き上げた。そうして、2階へ運んだまでは良かったのだが、ハプニングが起きた。ベッドにのったら、昨日装着したキャスター部分で、木の部品が折れたのである。強度を考えずに梁の途中に装着したのが良くなかった。メカのエンジニアとして失格である。
 結局、昨日おこなったキャスターの装着4か所の内2か所を変更した。単純に移動ではない。干渉部分を削り取ってスペースを確保しなければならなかった。さらに、折れた木の部品を、鉄製のステーを2個使って修繕・補強した。これが晩ご飯前までかかってしまった。予定の大誤算となった。
 その後のスケジュールも変更を余儀なくされ、明日のリモート会議のために、児童書の原稿の前回修正した部分の再チェックしかできなかった。
 精神的なストレスを解消するためには、あるいはこれ以上増やさないためには、どんなにのろくても、少しずつ前進させていくしかない。野球の野手で言えば、打撃部門のうち、本塁打数と打点を積み上げていくことで、上がり下がりのある打率を狙ってはいけないのだ。ちなみに投手で言えば、勝利数と奪三振数を積み上げていくことで、勝率や防御率は狙わない。

11月9日(月)「昨夜の事件と対策・・・の風さん」
 昨夜、着替えを持って寝室を出る時、足元を黒い物体が走るのを見た……気がした。走った方向にある荷物をどかしてみたが、何も発見できなかった。黒い物体は細く、少しゆらぎながら走ったように見えたので、ムカデだと思った。それは、以前同じところで見つけ、うまく捕獲してその後裏の土地へ逃がした記憶があったから、フラッシュバックした可能性が高い。
 しかし、走る速度がムカデにしては速く、ゴキを連想させた。もしゴキなら、各室に配置してある毒エサを食べるはずなので、そのうちに死ぬだろう。しかし、ムカデだった場合、捕獲できないと、いつまでも不安である。
 そこで、ネット検索し、また勉強した。ムカデは、エサであるゴキや蜘蛛を追って、屋内へ侵入してくる。我が家の場合、今はゴキよりも蜘蛛だろう。蜘蛛は保護動物だし(笑)。ゴキ用のアースレッドはムカデに効果はないらしい。殺虫剤は、ムカデを見つけないと使用できない。そこで、忌避剤の登場となる。屋外で使用するアリとムカデの両方に効果があるという薬剤は持っている。が、屋内用はない。ハッカ油も効果があって持っているが、やはり屋外用だ。
 ミント系のエッセンシャルオイルも効果があると言う。探したら、私のコレクションの中に、ペパーミントのエッセンシャルオイルがあったので、コンセントに差し込むタイプのアロマキャンドル(これも持っているんだなあ)を設置した。
 これで、安心して寝られる態勢が整ったが、ミント系のアロマテラピーは他にも色々と効果があるそうで、これはなかなかいいかも。
 そして、一夜明けた今日は、実はたくさん仕事をした。
 和室の障子を枠内に入れた。リモート会議をおこなった。長男の部屋のベッドのキャスターも改良タイプと交換した。
 最後まで黒い物体と再会することはなかった。どこかへ逃げたのならいいが。
 詳細は明日の日記に書くことにする。

11月10日(火)「リモート会議で成果・・・の風さん」
 9日は、天気予報通り、青空が見えていて、何となく身内からエネルギーが出そうだった。
 ストレッチ後、屋外へ出動した。裏の土地ではない。和室の外。実は、せっかく張り替えた障子が、掃き出しの窓に装着できなかった。和室を簡易洋室にするとき、フローリング風の敷物を畳の上に敷いたため、上下のすき間が狭くなってしまい、はめ込みができなかったのだ。そこで、屋外からガラスの窓(と網戸)を外し、屋外から障子を入れることにした。思った通り成功したが、ガラスの窓がべらぼうに重くて、軍手をはめないと、手のひらを傷めそうだった。
 その後、ブランチ(ホットミルクとトースト)。ちび助に少しだけエサをやってから、書斎へ入った。
 児童書のことで、編集者(エージェント)と版元と3人でリモート打ち合わせをおこなった。約1時間半の議論だったが、打ち合わせだけなら、けっこういける。それぞれが議論したいことが、しっかり意見交換でき、もちろん、多くの課題が、著者である私の課題として変換された(笑)。
 追加注文したキャスターが届いたので、長男の部屋のベッドの脚部の物と交換した。これはバッチリ改良された(けっこうな散財となったが)。
 ということで、9日は、かなりエネルギーを使い、前進した1日だった。
 今日は、いったん9時に起き出して、ワイフとちび助の朝食について相談したのち、またベッドに逆戻りし、起床は正午となった。
 いつものブランチ後、買い物に出かけた。特売日のドラッグストアでまとめ買いし、ホームセンターへ行き、あれこれと購入した。年が明けると、やや金額の高い買い物を予定しているので、細々した物を先に買い置きしている。
 深夜の仕事は、今日も連載の準備で、8月に始めようとした準備が十分できないままここまで苦しむことになってしまった。
 ちび助の調子が良くない中、何とか、最後までカリカリドリンクを飲ませることができた。明日もしっかりケアが必要だ。
 ペパーミントのアロマテラピーは、副次効果もあって、継続中。

11月11日(水)「久しぶりのインフル予防接種・・・の風さん」
 連日の頑張りはともかく、ちび助の調子が上向かない。こうなると夫婦で落ち込んでしまう。私はとにかくやれることを全力でやる主義なので、ルーチンの点滴はもちろんのこと、カリカリドリンクや水を飲ませることに注力する。ただ、不調のちび助は、このカリカリドリンクを飲ませた後、吐いてしまうことが増えていて、どうしたらいいか困ってしまうのだ。
 今朝もとりあえず起床して階下へ行き、ちび助に食事を少し与えてから、またベッドに戻った。再起床は何と午後1時半である。
 ストレッチ後、運動のため、歩いて投函に行ってきた。
 ブランチ後、ルーチンをやる余裕もなく、キャメロンで出かけた。かかりつけのクリニックで、今日は、インフルエンザの予防接種を予約してあった。前にやった予防接種が何のためでいつだったかも覚えていない。もしかすると、大学生時代の、種痘の予防接種(海外旅行のため)が最後だったかもしれない。
 今年インフルエンザの予防接種を受けることに決めたのは、もちろん新型コロナウィルスの蔓延がきっかけだ。高齢者は肺炎になると死ぬという恐怖はもちろんだが、今後、インフルエンザにかかった場合、新型コロナウィルスなのかよく分からないため、医療機関に迷惑をかけることになる。それを防がねばならなかった。
 今日は代診の医師が来ていて、参考のため、今回の予防接種はインフルエンザの型を特定できるか聞いてみた。分からないとの回答だった。なぜ質問したかと言うと、京大の先生の論文によると、昨年末から今年始めにかけて流行したインフルエンザのS型とK型にかかった人は、新型コロナウィルスにかかりにくいとのことだったからだ。代診の医師によれば、型は違っていても、インフルエンザの予防接種でできた免疫力は、新型コロナウィルスに対しても、ある程度の効果があるという海外の論文があるとのことだった。
 予防接種とは言え、注射である。普通の採血や先日経験した鎮静剤よりも痛いのではないかと勝手に想像していたが、全く、どうということはなかった(笑)。その後、妙な副作用は一つも出ていない。今年は、愛知県では65歳以上は無料とのことで、医療費がかさんでいる現在、ラッキーだった。
 今日は、最後までちび助は元気がなかった。私は、必死に、最後は連載の準備の続きをして、少しだけ早めに就寝した。

11月12日(木)「心配なのはちび助・・・の風さん」
 朝から気になるのはちび助の病状だ。
 具合が悪くても、こちらから与えて受け付けてくれるなら、カリカリドリンクも水も与えることができる。先日半月ぐらい続いた不調のときは、そうやって一日に5回を目標に、与え続けた。十分ではないが、体重(体力)の減少をできるだけ抑えたのだ。そうして、獣医の診断で腎臓の機能低下が原因の貧血だとなり、造血の処置が始まった。
 自分で食べるようになり、少し回復の兆しが見えてきたので、祈るような気持ちだったが、また悪化し始めた。前より悪く、だんだんカリカリドリンクや水を受け付けなく(戻してしまうように)なってきた。食べ物の与え方を色々に工夫してきたが、その効果が見られない。
 こうなると、私自身の精神も不安定になる。それを防ぐためにすることは、屋内外の特殊雑務である。創作のように、計算できない仕事と違って、雑務はやればやるだけ、確実に前進する。体を動かしていれば、ボケ老人にはメリットもある(笑)。
 今日は、強引に、和室にある次女の書棚を2階へ移動させた。手順を書けば、長々とステップが展開される。現役時代の用語を使うなら、業務の細分化という手法であり、製造なら工程分割である。それらの設計の上手か下手かで仕事の効率や成功確率は左右される。数学をしっかり勉強した人は、こういったことが自然とできる。義務教育の段階で、このことをしっかり説明しないから、「数学って何の役に立つの?」という質問が出て来る。どのような仕事でも、スキルの差に数学の勉強の成果が現れるのだ。また、演説してしまったが(笑)、現役時代の仕事の経験のお蔭で、雑務は得意である。
 達成感に近い疲労感を残して、雑務を終えたが、それでちび助の病状が改善されるわけではない。
 明日は人間ドックなので、早めに寝るため、最後にちび助にサプリを飲ませて、急いで風呂に入った。

11月13日(金)「人間ドックで思い出す現役時代・・・の風さん」
 今日は残念ながら仏滅ではない(13日の金曜日だが)(笑)。
 7時起床。眠い。全く生活パターンが狂ってしまう。ちび助にカリカリドリンクを飲ませたが、そのために早起きしたわけではない。今日は人間ドック(特定健康診断プラスアルファ)である。
 8時半にキャメロンで出発。2年ぶりだが、今後しばらくは毎年行こうと思っている。国保の特定健診よりプラスアルファの方が大事で、今年は脳ドックがメインとなる。地元の病院の健診センターは、今日は少し混んでいた。なので、脳ドックの順番が早くめぐってきた。脳ドックは通算3回目となる。脳はすべての臓器の中で中枢だし、やはり一番重要だ。これで確定するわけではないが、ボケが心配だ。参考データになるだろう。それにしてもMRIは音がうるさい。電流で磁場を変化させ、磁石が力を受けて空気を振動させる、変則スピーカーなので、音がする。流す電流を音楽にすれば音はメロディーになるだろうが、検査にするためには、ちょっと工夫が必要だろう。やらないのは、開発者に遊び心がないからだ。
 ついでに、オプションでもう一つ書いておくと、腹部超音波検査を受けた。前回も受けているが、そもそも現役時代は、会社の定期検診で必ず受けていた。既往症状もあるので、継続しているのだが、退社してオプションとなると、かなりの高額になる。やはり大きな会社に勤務していた恩恵で、退社して初めてそのありがたさを実感する。今日は、その現役時代を彷彿とすることがあった。技師の人とコミュニケーションしながら受診したのだが、腹部内にガスがたまっていると超音波検査がむずかしくなり、今日の私は、胃の中に少しガスがあり、手間取ったとのこと。超音波で体内のガスを診断するわけではない。比較的均質な組織の中に、異質なものを発見するのが目的である。途中に空気層があると、伝播速度が落ちてしまい、減衰もする。現役の会社員時代は、製品や部品の中の欠陥や異物を発見するため、超音波探傷という計測技術をよく使った。小さい試料は水中に入れて探傷したものだ。そんな経験談はもちろんしないが、技師の人から聞きだしたかった情報は、すい臓がんで亡くなった恩師の遺言(すい臓がんには気を付けろ)を守るため、未経験の腹部CTのことだった。それぞれ一長一短があるとのことで、金銭的な負担も考えたら、一年おきにやるのはどうですか、と言われた。脳ドックも1年おきにしているので、そういったマネジメント(金銭的やりくり)が必要だと分かった。
 日記が長くなったので、この続きは、また明日。

11月14日(土)「愚かな私・・・の風さん」
 昨日の話の続き。人間ドックが思ったより早く終わった。帰宅する前にGSへ行くことにしていたが、天気も好かったので、途中で、これまで気になっていた神社に寄ってみることにした。高台にあって、セントレアの眺望がすばらしいという看板がいつも目に入っていたからだ。
 良く走る道から脇の狭い道に入ると、すぐ蛇行しながら登る道になった。標高100m近い高さがあるらしい。頂上に、本当に神社があった。神職が常駐しているような大きな神社ではないが、すべてそろっている。境内に駐車し、外へ出た。その時、別のクルマがやって来た。こんなところでも参拝に来る人がいるのか、とやや驚いた。
 徒歩で登る石段もあり、かなり急峻な石段だが、女の子を連れた母親らしい人が、登って来るのも見えた。途中の鳥居で、二人でお辞儀している。ますます霊験ありそうな、厳かな気分になった。セントレアが展望できる場所から、スマホで写真を撮った。
 戻って来ると、後からクルマで来た人とすれ違った。
 狛犬が配置されている社殿で、賽銭を入れ、ちび助の病状が良くなるようにと、それだけお祈りした。
 事件はGSに着いてから起きた。すぐ取れるようにと、助手席に置いてあったプリカを入れた免許証ケースがなかった。財布などの入ったバッグはある。いくら探しても免許証ケースが見つからない。
 神社の駐車場にとめた時、窓は開放してあり、ドアのカギもかけていなかった。まさか後から来た人が、窓から手を入れて、免許証ケースだけ盗ったのか? 見つからないので、頭の中ではめまぐるしく事後処置を考え出した。ケースの中は、もちろん免許証が入っている。再発行してもらわなければならない。プリカには1万円もチャージしてあり、これはもうどうしようもない。あと、ETCカードが入っている。電話して使用を停止させる必要がある。JAFの会員証も入っていて、再発行だ。献血の手帳も入っているが、これもどうしようもない。
 盗まれたとしても、免許証だけ現地に捨てられていることがあるかもしれない。そんな気がして、神社に戻ることにした。
 自分が駐車した付近にも、後から来たクルマがとまっていた付近にも、免許証ケースは見付からなかった。
 ふと、社殿を見ると、ちび助の回復を祈った素直な気持ちがよみがえった。免許証ケースがなくなった理由は分からないが、人を疑った自分を恥じた。第一、窓を開放にしたままキャメロンから離れた自分の行動は何だったのか。能天気な自分の愚かさよ。
 そう思ってから、念のため助手席のドアを開けたら、なんと、座席の下に免許証ケースが落ちていた。サスが硬くて乗り心地の悪いキャメロンだし、運転の乱暴だ。助手席から飛び跳ねて、ドアと座席の間に落下したようだ。あるいは、人を疑った自分を恥じた瞬間、神様が、そこへ免許証ケースを出現させてくれたのかもしれない。きっとそうだ。
 日記が長くなったので、この続きは、また明日。

11月15日(日)「雑務でちび助の容態を・・・の風さん」
 実は、まだ13日の日記の続きである。
 人間ドックや神社参拝で愚かな自分をさらけ出しているのも、ちび助の容態が悪いことを忘れたいためだった。
 13日が半分過ぎた時点で、ちび助の容態は深刻だと判断し、動物病院へ電話した。急患としての予約をした。
 この時点で、ちょうど一年前の症状と酷似していた。あれから年末へかけて持ちこたえ、年が明けてから、奇跡的に持ち直した。だから、やはり専門医に頼るしかないと思った。
 予約した時間帯の中で、一番に診てもらった。とりあえず症状を抑える処方をしてもらったが、それで安心できるわけではない。
 帰宅してからも憂鬱な時間を過ごすことになった。こうなると、執筆どころでない。
 14日は、和室から次女の家具を二つ、2階へ移動させた。厄介な作業だが、こういったことをしている間は、ちび助の容態をしばし忘れていられる。ちび助は、カリカリドリンクは受け付けることができず、わずかな水しか飲めない。それでも、必死に飲もうとしているのは、飼い主との強い信頼関係があるからだ。私たち夫婦の愛情を感じているからこそ、つらい食事もケアも受け入れてくれる。それが分かるだけに、こちらも何とかしたいと必死になる。しかし、十分なことができず、落胆する。
 前の飼い猫の時もそうだったが、ワイフは、つきっきりの看病に近くなってきた。夜も、リビングで寝ている。
 そして、今日、15日は、私はまた昨日に続いて、和室の片付けだ。西側のシャッターを開放するため、窓の掃除をした。これは簡単なことではなかった。固着した窓の鍵を洗い、錆を落とし、鍵専用の潤滑剤を塗布して、鍵を再生させるところから始まった。窓の内外の掃除も大変だった。雑巾がけから始まって、最後はガラス専用の洗剤で拭き上げた。和室が明るくなった。この片付けは、単なる片付けではなく、ちび助の冬の療養所にもなる可能性があるのだ(昨冬はそうだった)。
 火曜日に名古屋へ行く予定があったが、中止にした。名古屋へ行ったらついでにシステム手帳のダイアリー(リフィル)を購入する予定だったが、できなくなったので、ネットで注文した。
 明日も特殊雑務が待っている。

11月16日(月)「ちび助のケアの合間に雑務・・・の風さん」
 ちび助のことが気になって仕方ないのはワイフも同じだ。娘たちからウォーキングの提案があり、天気も好いので、昨日は久しぶりに、夕方から急遽ウォーキングに出かけた。ワイフも私も最近、膝の問題があり、ちょっと躊躇していたのだが、やはり行ってよかった。膝の負担は問題なく、少し汗ばむくらいの日差しで、気分も明るくなった。なので、昨夜は、就寝時に腰の万歩計を見てみると、12951歩を記録していた。このうち5千歩くらいがウォーキングだったと思う。
 そして、今日もちび助のケアから一日が始まった。とりあえず水をシリンジでほんのわずか飲ませた。これだけでも、ちび助は飲むのがつらいらしく、飼い主との信頼関係がなければ、頑張って飲むことはなかったろう。
 午前中は、ワイフは教室があり、私は、先日大腸ポリープを切除した病院まで出かけた。保険請求のための診断書作成を頼むためである。往復3時間かかった。
 午後も、ちび助に水を飲ませることから始まった。これしかできないのが、実に歯がゆい。腎臓が悪いのだが、飲食が困難になっているのだ。点滴で水分は補給できているのに、食べ物を胃まで送り込むことができない。
 私はまた気をまぎらわす意味もあって、和室の片付けに集中した。何とか、冬になる前に、ちび助の療養所として、昨冬以上の良い環境を作りたい。
 夕方から、ちび助を動物病院へ連れて行った。弱っているので、負担を減らすため、往復、有料道路を利用することにした。かつてペコにゃんが通院していたときは、クルマでの移動が大嫌いで、ずっと鳴き続けていたので、常に有料道路を利用して、時間短縮をはかっていた。
 ちび助の飲食困難については、医師の診断は、新たな異常があるのではなく、腎臓が弱って、貧血がさらに進んでいるのが原因だろうとのことだった。また、造血剤や吐き気止めなどを注射してもらった。錠剤の吐き気止めは、現在の飲食困難につながっている恐れがあるため、とりあえず中止することにした。点滴はいつもより多くし、明日、自宅でも多めの点滴を指示された。次回は、明後日の予約をした。
 帰宅し、遅い晩御飯となったが、その後も、いつものように、ワイフはちび助のそばで看護し、私は、かろうじてルーチンをこなして、早めに就寝した。明日も、当面の特殊雑務が待っている。シルバーさんの剪定と、私は今年最後になるかもしれない通院だ。

11月17日(火)「ちび助が永眠・・・の風さん」
 8時にシルバーさんが来るので、その前に起床した。ちび助に水をほんの少し飲ませた。相変わらず苦しそうだった。
 キャメロンで町内の総合病院へ行った。ここは現役時代の2000年ごろ、利用した。ある大きなプロジェクトリーダーを任され、抜群の精神力を私が、何と精神的なダメージを受けてめまいを発症し、出勤できないという症状で(ワイフの運転するクルマで行き)受診した病院だ。耳の三半規管から脳の内部まで検査されて、物理的な問題がないため、精神的なものだと診断された。
 あれから実に20年の星霜が過ぎ(大げさな)、私は老化したが、病院は近代化されていた(笑)。受診したのは、同じく長期間苦しんでいる皮膚科(dermatology)だが、ちび助のことがあって、気をまぎらせる目的が大きい。診察券まで更新し、システムがすっかり変わっていたが、約1時間で薬までもらえた。驚くべきスピードだった。
 帰りにJPに寄って、送金処理を2件こなしてから帰宅した。
 休憩中のおなじみのシルバーさんと会話してから屋内に入り、ちび助の様子を見てから、トーストとホットミルクの軽食を摂った。
 雑務をこなし、食べ物をお腹に入れても、元気が出ない。それはワイフも同じだろう。ソファでぐったりしながら、ちび助を回復させる方法を必死に考えるが、名案は、今ごろ出るわけもない。
 ちび助の容態は、呼吸が荒く、貧血が極度に進んでいる(体への酸素供給不足)。人間なら、先ず、輸血だろうが、それはない。次は酸素吸入だろう。病院でも聞いたことはないが、登山用の酸素ボンベでも購入すれば、酸素用テントを急造して、やれるかもしれない。しかし、今からでは遅い。それよりも、呼吸が荒い(単位時間あたりの呼吸数が増えている)ということは、水にせよ、口から入れて飲み込むのが困難な理由は、これだと思われた(それまでは、粘度の高まった唾液や、喉の異常かと想像していた)。
 もはややれることは、横たわったちび助をなでさすり、苦痛が少しでもやわらぐことを祈るしかないと思った。私は技術者だし科学者精神も持ち合わせているが、霊的なことをすべて否定しているわけではない。霊的なことの中で、ハンドパワーは信じている。手かざし療法とも言う。手のひらを当てることで、患部に何らかのエネルギーを与え、発熱などを生じさせるのだ。温熱が治療になることは多い(がん細胞などは熱に弱いし)。そうやってちび助の体をなでてやると、明らかに反応して、しっぽを振る。これは嬉しい表現なのだ。元気なら鳴き声を出す。
 夕方、仕事を終えたシルバーさんとコーヒーを飲みながら雑談した。
 夫婦で交互にちび助をなでさする行為が、その後も続いた。 
 私が買い物のため10分ほど外出して帰宅したとき、異変を生じたちび助を抱いたワイフが玄関にいた。明らかに呼吸困難で苦しんでいた。床に寝かせて、二人で励ましている間に、まもなくちび助の呼吸が停止した。
 ちび助は、母猫とはぐれた猫だった。知人が助け、自らミルクを飲ませた。これなら大丈夫となった時点で、ワイフがもらってきた。シルバー(当地へ来て初代の飼い猫)亡き後、ペコにゃん(我が家に突撃侵入してきた野良猫)がいたので、私はあまり良い顔はしなかった。ペコにゃんが大腸がんで死んでから、ちび助だけになった。雌だが、やや気性が強く、渡しには雄にしか見えなかったので、当初はチビタンとかチビと呼ばれていたが、私はちび助と呼び捨てにしていた。
 もともと腎臓は弱かったらしい。地元の獣医に診てもらっても、あまり真剣に対応してくれなかった。そうこうしているうちに、2年前、百合を活けた花瓶の水を飲んで「百合中毒」となった。百合が猫にとって猛毒だと知らなかった。現在通院している大きな動物病院へ連れて行くと、急性腎不全で死ぬと言われた。それでも、入院して奇跡的に命だけは助かった。しかし、腎臓は一つは機能停止状態で、残る一つも弱っているとのことだった。
 中毒から一年経過した昨年、再び重篤な状態になった。原因不明の黄疸まで出て、体重は激減した。ほとんど寝たきり状態だった。そこから二度目の奇跡的な復活を果たし、以後、点滴はほぼ毎日になったが、少しずつ体重も戻り、今年の夏前には、普通の体格にまで戻っていた。十歳をこえたが、人間で言えば透析を受けながらも、天寿を全うさせることができると思った。最も暑いころをピークに、またちび助の容態が下り坂になった。既に、ケアの方法は色々と持っていたので、次々にそれを使って、ちび助をケアし続けた。自分で食べられなくても、一日最低5回の目標を立てて、カリカリドリンクを作り、水と一緒に飲ませた。昨年よりもさらに悪化したのが貧血だった。造血のためのホルモン注射が増えたが、効果はあまり見られなかった。多くの方法が、ちび助にとっては苦痛だったかもしれないが、私たちの愛情のなせる行為だと分かるらしく、ちび助は耐えた。
 私たちの気持ちを理解しているちび助は、本当に賢い猫だった。愛情の注ぎ甲斐のある猫だった。
 リビングでホットカーペットの上の座布団に寝かされたちび助は、一年前よりまだ体重があり、安らかに熟睡しているように見えた。長期間の大変な闘病を経て、ようやくたどり着いた安楽な状態に見えた。死んでいるのに、可愛いのだ。それが私たちにとっては、唯一の救いだった。
 深夜、私が片付けた和室が、ちび助の冬の療養所でなく、遺骸の安置所になった。葬儀は、シルバー、ペコにゃんと同じ場所で、明後日になりそうだ。

11月18日(水)「墓参と病院訪問・・・の風さん」
 今日は母の祥月命日である。母を失ったあとのことが、ちび助の死と重なって思い出される。
 6時に起床した。ちび助の様子を見て、何度目かの線香を上げる。私にとっての非日常は続く。
 7時にペットセレモニーへ電話し、火葬の予約をした。シルバー、ペコにゃんに続いて3回目になる。希望日時が空いていて助かった。明日の夕方である。長女と次女へラインでメールした。
 ワイフとパンの朝食後、動物病院へ電話し、主治医にちび助の最期を報告した。事務的な相談もし、今夜の予約は当然キャンセルだが、病院を訪ねることも決めた。
 このところ、1月前の陽気が続いている。小春日和というやつだ。やることはたくさんあるが、敢えてちび助の品物の片付けは後回しにすることをワイフと話し合った。ワイフはガーデニングを始め、私はルーチンとメールチェック。昼になったので、庭に出て、車庫の上のストッカー内の道具を出して、天日干しした。ディレクターチェアに座ると、日差しが痛いほど強かった。
 昼夜逆転生活が長くて、私が食べないでいたラーメンがたくさん残っていたので、今日は、私が味噌ラーメンを作って、ワイフと食べた。
 何度もちび助の様子を見に和室へ行った。ぐっすり眠っているような姿に変わりはない。悲しい安ど感に胸がつまる。
 ワイフが供花を買いに行っている間に、明日の葬儀のため、ちび助を入れる霊柩車を作った。長女が持って来た宅配の段ボール箱は、クロネコヤマトの宅配車になっている。窓がくり抜かれ、後部ドアも開く。それが、闘病中は、ペットシーツを敷いて、宅急便所になっていた。それを今度は、屋根を開閉可能にして霊柩車に改造するのである。モノづくりはお手の物だ。
 墓参に出発した。いつものように墓石の周辺を掃除し、供花を取りかえ、線香を上げた。ちび助の訃報を無言で伝えた。
 そこから動物病院へ向かった。墓地は途中の通り道なのだ。ちび助を連れて行かない、夫婦二人だけの病院訪問である。夜の診察前に主治医に会い、あらためてお礼を言った。主治医からはちび助と私たち夫婦の頑張りをほめてもらったが、私は「頑張り過ぎて、かえってちび助に負担を強いて反省している」と言った。
 あと、ペット保険の申請書類の記入や、使用済みの点滴道具の廃棄をお願いし、残った未使用の新品類(点滴セット5回分、腎臓病の猫のための獣医師処方食、尿毒症を防ぐイタリア製のサプリメント、カロリーエース10缶、猫用の精製水)を病院に寄贈した。寄贈品は、病院の判断で、ちび助のような病状の猫たちに提供される。ちび助の供養になるし、こんなありがたいことはない。
 玄関でのちび助の出迎えが期待できない帰宅は寂しい。これからこういう形が続くのだ。
 ちび助の添い寝でリビングで寝ていたワイフが、久しぶりに寝室へ入った。その後、私が入浴し、風呂掃除をして就寝したのは、午前5時だった。

11月19日(木)「全力主義の反省・・・の風さん」
 10時半起床。やや曇りがちになったが、気温は高く、風もほとんどない。気分は湿っぽいが、穏やかな天気だ。
 歩いて、ペット保険の申請を投函してきた。
 ワイフとパンで軽く食事をして、長女の到着を待った。途中、何度もちび助の様子を見に行く。和室はシャッターを閉め、保冷剤を置いて霊安所にしてある。眠っているようなちび助だが、毛並みはつやつやとしていて、なでるとまだ柔らかい。肉球などはぷにゅぷにゅしている。私が頑張り過ぎて長い闘病になった。苦しかったと思う。今は安らかな寝顔に見える。それは救いだが、やはり胸が苦しい。
 今朝未明に風呂掃除をし、予報通りに天気も好いので、防カビ燻蒸を仕掛けた。
 1時半に長女が到着した。ちび助をずっと可愛がってくれた。いつまでも泣いてちび助の霊安所に入れないでいた。
 ようやく中へ入ったので、「まるで寝ているみたいだろ?」と言い、私はちび助をなでながら「つらいのは僕らだけで、ちび助は病気の苦痛からやっと解放された」と言った。長女も、手を伸ばしてちび助にさわり、冷たいけれども、毛並みの感触や、弾力のある肉球に触れているうちに、安ど感に包まれていったようだ。さわりながらの対面は、30分近くも続いた。
 出発の時刻が迫ったので、ちび助を宅急便の霊柩車に安置した。
 後部座席に長女と宅急便の霊柩車が並び、助手席はワイフ、私がアクアのハンドルを握って、自宅を出発した。2時45分だった。
 意外にも道路が混んでいて、ペットセレモニーに着いたのは、3時半近かった。
 宅急便の霊柩車のまま祭壇に安置し、供花をし簡単な葬儀の後、焼き場へ移動した。ちび助の体だけを台に移し、好物だった食べ物を何種類も並べ、メッセージカードと一緒に炉へ入れられ、全員合掌する中、点火された。
 ちび助のケアで頑張り過ぎた反省が何度も頭に浮かぶ。全力主義は私のモットーだが、それを他人(今回は家族であるちび助)に押し付けて良いものではない。コミュニケーションがしっかりとれれば、話し合って、調整ができる。しかし、ちび助の場合は、それが困難だ。素直に、私のケアを全力で受け入れてくれたちび助は、さぞかしつらい場面が多かったに違いない。それでも、我慢して受け入れてくれたのは、私の愛情を信じていたからだ。しかし、もっと楽な、少なくとも苦痛の小さいケアの仕方はきっとあったと思う。ちび助がそれを望めば、そうしてあげたが、言葉のコミュニケーションはできなかった。
 10年と半年の命は、あまりにも短い。しかし、それを1日でも伸ばそうとするあまり、苦痛の闘病が2年になったのかもしれない。全力主義の自己満足でなかったか。自分に胸に問い、反省はこれからも続くだろう。
 ペコにゃんの時と同様に、喫茶店へ行って時間を過ごし、一時間後にペットセレモニーに戻った。寝そべった形のすべての骨を集めて壺におさめた。火葬証明書をもらい、料金を支払い、葬儀は終了した。
 新型コロナの第三波が襲っている名古屋で時間を過ごすのは危険なので、私の提案で、そこから常滑イオンへ行った。10月31日の再現である。あれからちび助の容態は急な下り坂になったのだ。
 悲しい気分のまま帰宅したくなかった。母の時に何度も味わった気分である。遺品整理のため、何度も母の家へ通った。母のいない家へ向かう時の悲しみは、今日、これから何度も味わうに違いなく、今日は格別、楽しく過ごしたかった。
 平日の夜のイオンは、客足もまばらで、新型コロナの影響を感じた。ショッピングを楽しみ、晩ご飯も食べた。ちび助の思い出話はなるべくしなかった。
 8時半、ワイフがちび助の遺骨を抱いているのだけがいつもと違っている中、長女を名古屋まで送った。
 イオンでのショッピングの楽しさの余韻を引きずりながら、11時近くに帰宅した。
 仏壇の横に、3つ目の骨壺が並んだ。雄のシルバーの骨壺だけが小さくて、ペコにゃんとちび助のは赤系統色でも大きい(笑)。
 浴室の換気をし、分解したユニットバスを組み立てた。
 長女とラインで写真の交換をしながら、ちび助が旅立った寂しさをまぎらわせているうちに、午前零時をまわった。仏壇の水を飲むのが大好きだったちび助は、骨壺の中で仏壇の横が定位置となった。

11月20日(金)「増刷の知らせ・・・の風さん」
 ワイフは今日から教室を再開した。何かしていなければ、落ち込むだけだろう。非日常の早起きをした私は、午前中に hairdye をした(気まぐれ日記を2日分書きながら)。
 昼食は、トーストパン。カフェオレを作った。
 脱衣場の縦型扇風機の掃除をし、タオルでくるんだ。まだ片付けるスペースが確保できていない。年明けに玄関横の物入れを整理するので、それまでの暫定処置だ。
 午後から天気が下り坂だったが、20日は銀行へ行く日なので、キャメロンで出かけた。仕事のステップは詳細に決めてある。
 JAでキャッシュをおろした。雨が降ってきたので傘をさし、UFJのATMまで歩いた。そこでは3つの口座の入出金処理をした。再び傘をさして、ドラッグストアまで歩いた。これは運動のためで、割引券で1品だけ購入した。JAまで歩いて戻ったが、雨のせいもあって、あたりは暗くなってきた。
 ライトを点灯して走り、帰宅した。すぐにホットタイムになった。
 ここまででも、いつものくせで、ひょいひょいとサンルームに足を運んでしまう。容態を見るちび助はそこにはいない。身体の中を風がすり抜けて行く感じがする。家族を失った悲しみだ。
 コーヒーを淹れると必ず仏壇に供えてお参りする。仏壇の横のちび助の骨壺は、まだこの習慣の中に入っていない。ちび助の死が受け入れられていない。
 ホットタイム中に、スマホにメール受信の知らせがあった。チェックすると、くもん出版からで、夏に増刷になった『円周率の謎を追う』が、また増刷になるという。第7刷だ。新型コロナの自粛生活で、一部の児童書が売れているという話がある。自宅学習用である。私の本はそれではないだろう。夏の増刷は夏休みの読書用になったかもしれないが、今度の増刷は冬休みの読書用? それはともかく、仕事が停滞している私にはありがたいことだ。関係者はもとより、ご先祖様からちび助にいたるまで、感謝感謝である。
 冷蔵庫の奥にしまったままだった飲みかけのワインをワイフが取り出して、晩ご飯の時に飲んだ。酔っ払ってしまった。
 福島の兄貴から電話があった。来年2月の、父の十三回忌の相談をした。新型コロナの影響で、兄貴夫婦は来られないので、実施するかはこちらに任せられた。私は日にちをずらして年内にやれたらよいのではないかと思っているが、ワイフは私たちだけでも実施しようと主張した。この件もそろそろ決めて、子どもたちへも伝えねばならない。
 昼夜逆転の作家生活にはまだ戻れない。今夜も早めに就寝することにした。

11月21日(土)「なかなか力が入らない・・・の風さん」
 朝から強風が吹いていて、うるさいほどだ。就寝時刻が2時間前後早まっているので、起床時刻もその分早まる。昼前にはちゃんと起きている(笑)。
 最近ストレッチのメニューを増やしたせいか、膝が痛くなる。トクホンチールを塗って悪化を防いでいるが、増やしたメニューが原因しているらしい。明日から、それをやめて様子をみよう。
 早起きしてはいるが、朝食を摂るほどでもないので、ルーチン後、ブランチにした。
 1階にいるとふいに寂しさが襲ってくる。いつもそこにいたちび助がいないからだ。音楽を流して気をまぎらわせるが、好きなメロディーはマイナーなものなので、元気にはなれない。点滴で生じた袋類のゴミを片付けた。そういったことすら、やるのにエネルギーが必要だ。
 メールチェックしていたら、ANAのマイルの期限延長のお知らせがあった。経営が苦しい中、顧客や従業員に配慮した施策が次々に打たれている。フラグシップの座に甘えている某社との違いは明白だ。今年5月の仙台での講演が延期になっていなければ、またマイルが増えていたはずだ。今回の期限延期処置はありがたいが、先が見通せないので、少しキャッシュも追加して、全マイルを商品に交換することにした。その勢いで、スマホで管理しているポイントの一部も使って、商品交換もした。どちらもこれから必要になる食品で、家計を助ける意味がある。
 夕方、ベッドで横になって体を休めている間に、連載小説のヒントが頭に浮かんだ。モチベーションが高まった。ホットタイムの時にワイフに報告した。元気の出る話題だが、イマイチ盛り上がらないのは、やはりちび助がいないからだろう。3人生活が2人生活になったのと同じだ。しかし、待てよ。2人生活が1人生活になったらどうなる? その1人が男の場合は、たいていすぐ後を追うことになる。生命力に乏しいんだね(笑)。
 午後から風はおさまっているが、だんだん季節にふさわしい気温に下がっていくらしい。新型コロナウィルスが力を増していく。

11月22日(日)「日本のサブカルチャーはすごいな・・・の風さん」
 昼夜逆転以前の生活が続いている。
 ストレッチから最近追加したメニューを外した。ベッドの上ながら、膝をついておこなうので、膝を傷めていた可能性があったから。すべてのメニューを終えて、膝に痛みは生じない。しかし、念のためトクホンチールを塗っておいた。
 ちび助関連グッズの片付けには力が入らない。それでも、今日も一つだけ手をつけた。カリカリドリンクを作るための電動コーヒーミルを洗った。母の遺品整理で福島へ通ったときも、同じ感覚だった。力が入らないのだ。そして、ため息が出る。経験がなければ、空想で文章化しかねないということに、プロの作家としてあらためて気付く。
 違った形でワイフの生活のリズムも崩れている。ちび助を失った影響は否定できないので、敢えて指摘もしない。
 ブランチを一緒に食べた。ちび助の話はしない。話題にしないことで、お互いが深い悲しみを抱いていることが分かる。慰め合うこともない。三文芝居みたいなことは、現実の世界では起こらないのだ。
 ワイフが実家のお母さんと週一で長電話した後、お母さんの提案もあり、またウォーキングに行くことになった。お互いに膝に問題があるので、無理はしない。海岸まで行って、すぐ戻るパターンにした。
 曇りがちの天気だったが、風がないので寒くはなかった。海岸でも風は弱かったが、風力発電のプロペラがしっかり回っていた。かなり性能が良さそうだ。近くまで行き、発電している低周波音を聞いた。スマホを取り出してネット接続できるか試してみた。問題なかった。太陽光発電施設も並置されていて、景観は悪い。迷惑な代物である。
 うっかりしていてアマゾンの宅配指定時刻に不在にしていたため、受け取れなかった。電話して謝った。
 晩ご飯の時に、ワイフが近所のスーパーの日曜朝市で買って来た食材の料理で、ボジョレヌーボーを飲んだ。もしかすると生まれて初めてだ。けっこう美味かった。
 酔っ払ったので、酔い覚ましを兼ねて、トム・クルーズの映画を観た。2014年のSF映画で、正式タイトルは「Edge of Tomorrow」だが、原作は日本人作家のライトノベル『All You Need Is Kill』だった。全く知らなかった。日本の文化というか俗にいうサブカルチャーもすごいと思った。ややこしいストーリーもアメリカ映画好みじゃないか(笑)。
 午前零時を回ったが、書斎に入り、連載の準備の続きをした。

11月23日(月)「長女がGOTOを誘導・・・の風さん」
 今日もやや風が強い。
 いつも通りに階下へ降りても、ちび助がいないので、そこで日常が変化していることに気付く。そして、体から力が抜ける。
 退社して7年になるのに、まだシャバの習慣になれない。今日は3連休の3日目だ。ATMを使う予定を組んでいたが、中止した。
 たらたらとルーチンと雑務をこなしていった。たいしたこともしていないのに、いやな疲労感が残る。ベッドで横になってみた。楽だ。元気が出たら仕事に戻ろう。
 新型コロナの第3波にどう対応すべきか、政府が苦慮している。撲滅とか終息とかは、言葉には出さないが、現実的でない。いかに被害を低くおさえながら、経済を回していくかだ。人気のGOTOにかけるブレーキの加減がむずかしい。
 ちび助を失って元気のない両親を元気付けようと、長女がさかんにGOTOの利用をうながしてくる。お得さを活用することより、気分転換は確かに重要だろう。長女の提案をきっかけに別の案を、ホットタイムの時に話し合った。
 この検討が晩ご飯後も続いた。長女がラインで色々と仕掛けてくる。のせられた格好だ。住居地、名古屋、富山という3つの選択肢を検討した。最後は検討することに疲れてしまい、どの案も採用しない、つまりGOTOを利用しないことに内心決めた。
 長女は許してくれなかった(笑)。ラインの電話がかかってきて、決断をせまられた。結局、名古屋になった。第3波の対応で、名古屋でGOTOが停止される可能性は高いが、長女はすぐにネット予約を代行してくれた。
 連載の準備も大詰めだ。もうここまで準備したら書くしかない、というところまで到達した。
 久しぶりの昼夜逆転に近い時刻になった。就寝は午前4時。

11月24日(火)「昨日できなかったこと・・・の風さん」
 昼夜逆転の生活に戻りつつある。しかし、様々なことに今一つ力が入らない。特に階下にいると、ちび助を思い出してしまうからだ。飼い主を信じて、つらい闘病を耐える姿が目に焼き付いている。何とか長生きさせたかったが、それは私の身勝手な願望だったような気がして仕方ない。人間でも、患者自らが治療の中断を望むことがある。楽になりたいからだ。人間の尊厳が考慮されるように、家族同様のペットにもそれはあるのではないか。ただ言葉がしゃべれないから明確な意思疎通ができないだけで。
 ストレッチ、投函、ブランチ後、キャメロンで出かけた。ドラッグストアで少し買い物をした。ATM端末で、シルバーさんへの支払いやログキャビンの修理代金を送金処理した。ホームセンターでも少し買い物をして、帰宅した。昨日祝日でできなかったことをきちんと終え、ルーチンもこなした。大規模な特殊雑務は、月内は封印している。
 ホットタイムもルーチンのように続けているが、ちび助の話はしない。できない。この間までの日常は、ちび助のむずかしいケアがあったが、どんなに大変でも、懸命に取り組むことができた。その大きな仕事がなくなっても、何もうれしくはない。昨日はGOTOの検討ができたが、楽しい検討ではなかった。
 連載のために執筆マシンに向かっても、ひたすら準備作業ばかりだ。トンネルの中に入ったまま、時間ばかりが過ぎていく。就寝は午前5時になった。

11月25日(水)「やっと執筆モードか・・・の風さん」
 昼夜逆転になってきている。起床前、今朝とも言えない時間帯、このシーズン最初の悪寒戦慄があった。必死に全身の筋肉を緊張させて発熱させる。心臓の筋肉が随意筋でないお蔭で、心臓停止に至らない。しかし、自分は最期はこれかな、と想像する。父もこれで死んだのではないか(寒い朝、洗面所で倒れた父の死因は、医師の診断で心不全だったが)。
 あとでワイフに話すと、パジャマがまた冬型に近付くと同時に、ふとんの更新を提案された。結婚以来使用しているらしいふとんはもうボロだ(気にしていないが)。更新はしてもよいが、私の悪寒戦慄には効果はないような気がする。
 先月の大腸ポリープ切除の診断書が届いたので、ストレッチ後、保険の請求書類を完成させた。
 その後、運動をかねて投函に行った。天気が好く、そういう日はよく見る、猫がいつもの場所に出てきた。色柄(毛並み)のめちゃめちゃな猫が道路に出て、続いて茶トラ、さらに黒猫が続いた。3匹とも向かいの空地に入った。近付いて見たら、最初の2匹は車の下に入り、黒猫が砂地でウ〇チを始めたので、動画撮影した(笑)。
 トーストとホットミルクのブランチ後、インスタントコーヒーを淹れて書斎へ行った。もう今日は、特別な用事はしないと決めたので、ルーチンを処理し、執筆にとりかかった。
 就寝は今日も午前5時。昼夜逆転で執筆モードになりつつある。

11月26日(木)「結局執筆スタイルは変えられず?・・・の風さん」
 厚手のパジャマのおかげで、今朝は悪寒戦慄はなかった。
 膝をつくストレッチをやめても、朝のストレッチ後は、膝の痛みが生じる。無理をしてはいけない。念のためトクホンチールを塗っておく。安価なので、ほとんど気にならない。しかし、現役引退後の医療費は一気に増えた。こういう事態は、若い時には全く想像もできなかった。少子高齢化のせいで、じきに75歳以上の貧しくない人の医療費自己負担が現行の10から20%に引き上げられる。私(とやがて家内)もそうなるだろう。現在、文芸美術国保に加入しているが、これも75歳までだったと思う。その後は、普通の国保になる。メリットが少し減るので、自己負担が10%になることを期待していたが、なかなかうまくはいかないな(笑)。
 重い雑務はやらないようにして、ルーチンだけはこなし、夕方から執筆モードに入れた。結局、自分が目指すスタイルはできず、最もリスクのある書き出しになっていて、結果として効率は悪くなる。だから量産作家になれないのだ。長年、デンソーで生産技術を研究してきたのに、その成果は、執筆には生かされない。愛工大や名商大でさらに勉強し、ビジネスとしても知見を増やしたのに、自分の執筆スタイルには反映できていない。もちろん創造的な仕事だから、量産や定型的な仕事とは違う。しかし、部分的には活かせるはずだといつも思うのだが、結局できていない。
 就寝は午前5時。どうやら以前の昼夜逆転執筆モードに戻れたようだ。

11月27日(金)「ウォーキング日和・・・の風さん」
 11時半起床。ストレッチに続いて、運動がてら投函に行った。青空で風もほとんどない。こういう時にさっと海岸まで突っ走れる日はいつ来るのか。すべてに力不足の私には見果てぬ夢で終わるのか。何とも、ため息しか出ない。往復のどこでも猫の姿を見なかった。
 ブランチのトーストを食べていると、ワイフが外出から帰って来た。昨夜ランチの提案がワイフからあったが、それは引きこもりがちな私へのありがたい申し出だった。しかし、余裕がないと打ち明けて断っていた。何かするにしても、ランチは罪の意識をともなう。そこで、天気も好いので、ウォーキングに行こうと、あらためて言ってみた。もう一度出かける用事(郵便局)があったワイフが賛成した。 
 いつもより早めに出発した。JPの分局でワイフが用事を済ませた。続けて、地元の神社までクルマでは通らない道を歩いて行った。集落の中に小さな店があり、子供たちが小さかったころ、ここで文房具を買ったとか、PTAの集まりがここであったとか、胸が暖まるような話を聞いた。自分も子供だったころ、町の中の小さな店で買い物をしたりしていた。本当に良い思い出だ。
 神社でお参りした後、さらに裏山にある小さな秋葉神社まで登った。近年リニューアルされていて、これなら少子高齢化が進んでも百年先まで維持できそうだ。樹木越しに青い海が見える。
 帰りもふだん通らない道を選んだ。
 ちび助の思い出の品物を少しずつ片付けているが、今日は、ちび助のために買った「ふけ取り用ブラシ」をきれいに洗った。長女のダンナからもらった「ねこじゃすり」というスグレモノもある。これらは処分はせず保存しておく。
 昼夜逆転執筆モードになってから、ようやく執筆が進み始めた。今日の就寝は午前5時半。

11月28日(土)「夜間の投函・・・の風さん」
 のろのろでも昼夜逆転の執筆モードでないと進まないのか。何とも情けない気がするが、屋内外の雑務と同じで、少しずつでもめげずにやるしかない。
 ワイフは、今日は午前も午後も庭のログで教室だ。今年2月からコロナ対策は思い付くだけ装備してきた。クレベリン、空気清浄機から始まって、現在は乾燥対策で加湿器も置いた。ワイフは、教室内が高密にならないように、1回あたりの参加人数を減らしている。住居地の人口は約2万人で、観光地だが地方なのでのべ感染者数は15名ほどだ。ワイフの教室がクラスターになったら、暮らしていけなくなるかもしれない。危機感を持ちながら日々暮らしている。
 夕方、クロネコが3つの荷物を持って来た。1つは今日のこの時間帯を指定してあったが、他の2つは偶然である。飛脚やゆうパックでなかったのも偶然だ。中身はすべて食べ物である。生きていけるありがたみを味わうことになる。
 今日は、郵便受けの中もいっぱいだった。その中から、プレゼント応募がある冊子があったので、ホットタイムをしながら、応募ハガキを書き上げた。さらに、模試への利用依頼(継続している『円周率の謎を追う』だった)もあり、承諾書も書いた。
 明日の収集時刻は朝なので、晩ご飯前に、郵便物を投函に行った。午後7時は外は夜だ(笑)が、旧暦なら14日なので、月はほぼ満月に近く明るい。煌煌と照っているときは、自分の影がくっきりと地面に映る。しかし、街灯の明かりには負けていた。昨今の街灯は白熱灯から蛍光灯そしてLEDに変わっている。
 少し寒かったが、投函してきてよかった。明日の起床後つまり昼過ぎに投函したのでは、収集は明後日の午後になる。
 晩ご飯後は、いつものようにソファでうたた寝し、午前零時過ぎから本格的な執筆にとりかかった。

11月29日(日)「おにぎり1個・・・の風さん」
 就寝は午前6時だった。途中で夜食としておにぎりを1個食べた(笑)。だらだらしていても、深夜に活動するのが私のスタイルなのか。
 松岡弘一さんからCDが送られてきた。福田こうへいが歌う『筑波の寛太郎』だ。昔懐かしい演歌を感じるが、最新作である。作詞家として再活躍を始めた松岡弘一さんだが、歌詞を読んでいると、やはり物語性を感じる。それでも、歌詞である。「ツンツン筑波の寛太郎」のあたりが実にいい。演歌はいいなあ。
 昼頃起きて、入念なストレッチから1日を始めた。膝を悪化させないように注意しているが、なぜか不安は消えない。老人になるとはこういうことか。スマホでツムツムをやっていても、指先に問題が生じる。指がすばやく動かないだけではない。生体として機能しなくなるのだ。つまり、指先だけが死人に近付くのだろう。水分を補給したり、ニベアクリームを塗ったりしてみると改善される。解決ではない。ある意味(科学的ということではなく)有機質から無機質になりかかっているのだろう。
 今日もルーチンと片付けはそこそこにしておいて、早々に執筆に取り掛かった。
 冒頭で松岡弘一さん作詞の『筑波の寛太郎』に触れたが、現在執筆中の連載小説の舞台は筑波である。これは夏時点で決めてあった。そのための準備を着々と進めてきたが、今になってもまだ新たな知見が得られる。わずか200年前のことなのに、舞台は大きく変化していたのだ。
 今日も、途中でおにぎり1個をはさんで(笑)、就寝は午前6時を回った。

11月30日(月)「1年前との違い・・・の風さん」
 就寝が午前6時半では昼前に起床するのは難しい。今日は、何度も目が覚めてはまた寝入るを繰り返しているうちに、午後1時を回ってしまった。
 会社員を引退しても作家としては現役だ。様々な締め切りをゴールに設定している。月末の今日もそうだった。
 思い起こせば1年前の今日、拙宅でバーベキューを開催した。会社の元同僚とその家族を招待した。ワイフが早めにクリスマスツリーを飾ったので、クリスマスっぽいイメージで開催できた。風が吹いて気温も下がり、屋外でのバーベキューには寒過ぎた。それでも、来てくれた人たちはそれなりに楽しんでくれた。最後のビンゴゲームやピアノ演奏も充実していた。
 まさか1年後に世の中がこうなっているとは予想もしなかった。今年は開催できず残念だ。何とか来年またやりたい。
 昼にワイフが台湾ラーメンを作ってくれた。ホットタイムは、義姉が作って送ってくれたチーズケーキを食べた。
 連載小説の伸ばした締め切りを今日に設定してあったので、行けるところまで(寝ないという意味)行くしかない。
 深夜、史実と小説の間に矛盾を発見した。小さな矛盾だが、私の小説はほとんど史実だと思われかねない内容なので、できるだけそういった矛盾は作らないようにしている。そのため、原稿の構成を変更した。前後を入れ替えたりした。時間がどんどん過ぎ去っていった。今夜は夜食のおにぎりを食べている余裕もなかった。もっともおにぎりは品切れだったが(笑)。

2020年12月はここ

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